沖縄市の米軍基地面積

 本市の米軍基地面積は、2009(平成21)年3月末現在で約1,689万1千㎡となり、市域面積の34.5%を占める広大なものです。これは、県内の米軍基地総面積(約2憶3千293万3千㎡)の7.1%を占め、全県市町村の中でも上位4番目に位置する面積となっています。また、中部地域米軍基地面積(6,658万㎡)の約4分の1にあたる25.3%を本市が占めています。

米軍基地面積の推移

 米軍基地面積の動向をみると、復帰後の米軍施設の整理統廃合を背景にして、一時期減少したものの、近年においてそれほど大きな変動はなく推移しています。ちなみに、1975(昭和50)年から1997(平成9)年までの推移でみると、1975年の2,125万9千㎡から1997年度には、約17%にあたる364万6千㎡が減少しています。

 特に75年から80年頃までの面積減少が目立っていますが、この間のキャンプ・ヘーグの全面返還をはじめ、泡瀬通信施設を主体とし、その他の施設でも部分返還等が進んだためです。しかしながら80年以降では、96年12月の知花サイトの全面返還を除き、部分返還も見られますが、細切れな返還が中心であり、97年度までの間に約95万3千㎡が減少したに過ぎません。06年10月末、嘉手納弾薬庫地区の一部、58万4千㎡が返還されましたが、陸上自衛隊が沖縄訓練場として継続使用しています

米軍基地面積の概要

 地域的特徴としては、旧美里村域におきましては泡瀬通信施設(1965年~1970年、1976年、1977年)、キャンプ・シールズ(1971年)、キャンプ・ヘーグ(1977年)の部分返還、または全面返還が進み、現在、旧村域の約14%となっており、軍用地面積はかなり減少しています。しかし旧コザ地域におきましては、山里・桃原地域、胡屋開放地、嘉手納飛行場(国体道路、自動車道)等の一部返還はあったものの、旧市域に占める割合は、現在も約60%を占めており、それほど縮小しているとは言えません。2009(平成21)年3月末現在、軍用地の市町村域に占める割合は、最も高いのが嘉手納町で町域の82.5%、次いで金武町の59.3%、そして北谷町の52.9%となっており、他の基地所在市町村と比較しても旧コザ市域に占める基地の割合は依然として高い水準にあります。

沖縄市の米軍基地面積